私は今のお仕事を始めてから、それまで以上に自分の癒しに取り組むことになった。
もともと長く心を病んでいたことからスピリチュアルな世界に興味を持ち始めたので、自分癒しを進めセラピーやヒーリングの勉強を始めてそれを仕事にしてからも、まだまだ自分は病んでいるという自覚もあった。
そして医療従事者が殺菌・滅菌・清潔などを徹底することで、二次感染を防ぎ自分を守ることを徹底するように、心に関わる仕事をするからには、プロとして普通の人以上に自身のケアを徹底する必要があると思ったからだ。
心を病んでいた十数年間で、いろいろな医者やカウンセラーや霊能者などに会ってきた。
能力云々以前に、人格的にどうなんだろうと思う人もたくさんいた。
そういった人に傷つけられながら、自分は同じになりたくないと思っていた。
傷ついた心を持つ人に寄り添いながら、その人を無意識にでも傷つける人にはなりたくないと思っていた。
だからこそ自分を管理し、癒す必要性を強く感じていた。
私の場合明らかに子供時代に問題があったので、そこにフォーカスした癒しは必須だった。
けれども癒しには「癒し時」があり、狙ったところに狙った時に癒しが起きるとは限らず…
ある時期からヒプノをしても瞑想をしても、自分の過去世がばんばん出てくるようになった。
そしてそれらの過去世は、多くが私の持っている能力に関わっているもので、その過去世を思い出し癒すことがその能力を取り戻すきっかけとなっていった。
私は過去世においても、巫女やシャーマン、一般的に魔女と言われたサイキック、宗教関係者など、スピリチュアルに関わっていたことが多かった。
そうでなければ、貴族や王族として、責任ある立場で何らかの役割を持って生きていたことも多かった。
特にスピリチュアルに関わっていたときは、その能力を使って仕事や役目を果たしていたのだが、様々な理由があって、迫害されたり監禁されたり、追われたり殺されたりすることもあった。
もしくは、役割を押し付けられたり、役割を果たさないかぎり存在意義などないと思い込まされたり、私の意志とは関係なくスピリチュアル能力だけを一方的に求められ、それを使うことを強制されたりした。
そんな過去世で、私はスピリチュアル的には強大な力を持ちつつも、一人の人間として決して幸せではなかった。
むしろ不幸だったと言ってもいいかもしれない。
そんな辛い過去世が、私が自分の能力を恐れ、否定する根源になっていた。
でも私の中のスピリチュアルな部分は、私がどんなに否定しても私の一部であることに変わりない。
そんな自分の一部を否定することは、私が私を否定していることになる。
自分を否定する生き方…それは私が私でない生き方をすることと同じことだ。
多くの辛い過去世を思い出していった。
そしてそのたびに私は私が誰であるか、それを繰り返さないためにはどうすれば良いか、そんな自分の過去世を癒し、過去世の自分に報いるためにも今自分が何を選択すれば良いかに気付いていった。
長く否定していた自分の一部を受け入れ、それと共に生きることを決意していった。
そうすると不思議なようだが、当時もっていた様々な能力や叡智や知識が私の中に蘇ってきた。
カルマの解放とでも言うのだろうか?
そこから得られる大きな恩恵…ゆっくりと、だが確実に、私はそれらのものを受け取っていった。
それらの経験から、自分自身への否定こそが封印であり、能力の封印であると、私は認識していった。
もちろん過去世のトラウマがあまりに大きいと、それを自力で思い出すことすら出来ないことも多いし、自分で自分を癒すために特定のエネルギーの補助が必要な場合もある。
また、自分で自分を封印している場合と違い、誰かに魔術や呪いや霊的儀式で能力を封印されている場合もある。
そういう場合、自分で封印を解除ことはかなり困難なので、適切なサポートを受ける必要がある。
でもそんな時、私の場合は必ず必要なサポートを適切に受けられてきた。
そんな幸運と導きと助けには本当に感謝しているが、それすらも、長く癒しを待ち望んできた自分の一部が引き寄せたことかもしれないとも思う。
封印の解除は、まるで玉ねぎの皮を剥くように地道な作業だった。
私という一人の人間の中に多くの封印が存在し、その全てを一気に解放することは出来ない。
ゆっくりと私が私を理解し、受け入れられるように、ベストのタイミングで癒しの時期がきたことを「私にとっての不都合」という現象で教えてくれる。
そのたび私は癒しに取り組み、自分に向かい合う。
そこで起きるどんな内的混乱も、現象も、全てを受け入れる勇気をもって。
「封印解除」という言葉を、最近一部でよく見かけるようになった。
そしてその意味について、いろいろな考え方や定義があると思う。
私にとっての封印解除とは、私が私であることを更に受け入れ、受け入れることによって今まで隔離していた自分の一部を取り戻すことだった。
目的は更に自分を知ること、自分を認めること、自分を許すこと、自分を愛することであって、そこで受け取る恩恵は計り知れないほどに大きく、いわゆる「能力の解放」は私にとっておまけみたいなものだった。
力が欲しくて封印解除に取り組んだことはなく、自分の中の苦しい部分を解放したくてそれに臨んだ結果、気がついたら能力が戻っていたという感じだった。
私の中に癒されていない部分、気付いていない部分、受け入れてない部分はまだまだあると思う。
癒せば癒すほどそれらは大きなものになっていくが、自分がそれらの大きなものを受け止められるようになった頃に自然ときっかけが起こることを知っているので、焦りも不安もない。
ただ、私らしく生きてさえいればいい。
そうすれば「その時」はいつか必ずやってくる。
その時がとても楽しみだ。
正直言って、かつては能力や才能を欲し、それに執着していた時期もあったことは否定出来ないが、どんなにあがいてもないものはないし、あるものはある。
ないものは求めてもどうしようもないし、あるものはいつか必ず出てくる。
ただそのタイミングを待っていればいいことが今は分かるので、安心して待つことが出来る。
封印を解除することで私が得たものは、能力解放以前に心の安寧が大きかった。
そういう意味でも「自分を深く知り、癒すこと」を続けてきて本当に良かったと思うし、これからもずっと続けていくだろう。
自分を否定していた悲しい過去世の自分達を解放し、彼らと今を共に生き、更に自分を受け入れていきたい。
それは喜びに満ちた自分自身を生き、更に豊かな未来を創っていくということと同じことでもあるから。